2015.12.25
響育の山里 くじら雲 : 依田 敬子 さん
子どもの育ちを考えたとき、ひと昔前の昭和30~40年くらいの生活を経験することが理想かと思っていたこともあり、元々は養蚕農家だった建物を修理して使っています。
曜日や季節にもよりますが、山の下に集合し、そこから2キロ弱の山道を2時間かけて、いろいろな発見をしたり、お友達と関わりながら歩いて登ってくることがあります。
園に集合するときはたき火を囲んで朝の会をして、料理をしたり、絵をかいたり、木工や鬼ごっこなど、好きなことをして過ごし、お弁当を食べて、片づけや雑巾がけをすることもあります。
自然に対する畏敬の件を持つということも、教育目標にありますので、昔からこの地方に伝わる行事を取り入れています。お月見会では親子で夜に集まって餅つきをしたり、大人対子どもで綱引きをしたり、夜の山の中を探検にいったりして過ごすこともあります。
理想の保育のスタイルのひとつが、異年齢の集団だったので、年齢を区切らないスタイルをとっています。
園の習慣として、入園当初は周辺を歩くのですが、4月の終わりぐらいになると、山の下からリュックを背負って歩いて登ってきます。慣れないと途中で座り込んでしまうこともあるのですが、大きい子が手をつないで引いてくれたり、自分のリュックに加えて他の子のリュックも背負う姿を見かけます。大きい子たちは、「自分たちが年少の時、大きい人たちに、そうゆう風にやってもらったんだよ」と言いながら、自然にやっています。ひと昔前は家を出れば異年齢の集団で過ごしていました。そうゆう経験は子どもたちにとっては必要だと思っています。それを実現できているのも自然保育も魅力です。
小さい子同士がケンカをすることがあります。大人にとっては些細なことでも、小さい子にとっては大きなことです。
以前、水筒のふたを開けられない子がいて、お友達が毎日、開けてあげていました。でもある日、自分でふたを開けたいと思ったんですが、いつも手伝っている子も開けたい。そこでケンカになってしまいました。大きい子たちはそれを見守っていたんですが、小さい子なのでうまくお話ができずに、思わず叩こうとしたんです。すると大きい子たちが手を抑えて、「たたくと痛いよ」と言ったり、また別の子が「今日は開けさせてあげたら?」と言ったりして、根気強く付き合ってくれました。こういった関わりができるのも、異年齢教育をしているからだと思いますし、子どもたちの思いやるの心が育っているんだと感心します。
自然保育では、コミュニケーション能力が高くなるのではないかと思っています。小学校の先生には、話をよく聞けるということと、周りの子のことを助けてくれる姿があるといわれます。
それは身体と心が育っているからだと考えられます。平らな所ばかりではなく、凸凹したところで1日5時間、年間200日過ごす中で、腹筋とか背筋、体幹が育って、姿勢を維持することができるようになります。そうすると、集中力が高まり、人の話に耳を傾けたり、自分の身を自分で守ることができるようになります。
また幼稚園時代の実体験が多いので、学校に行って知識の部分が入ると、とても興味を持つようになります。それも人の話を聞くということにつながっているのだと思います。
幼児期の子どもたちにとっては包丁を使ったり、雑巾がけをしたり、火を起こしたり。生活そのものが学びになっています。
例えばくじら雲では包丁を使って調理をします。そうすると、3歳の子どもは手を切ってしまうこともあるのですが、子ども用の包丁を使うので深くは切りません。でもそういった経験をすることで、だんだんと上手に包丁を使えるようになっていきます。
昔はこういったことを家庭で行っていたのですが、今は難しい部分もあるかと思いますので、ぜひ、自然保育で多くの体験をしてもらえればと思います。
自然保育のような活動を進めていくためには、人材育成が重要になってきます。運営面の課題もありますが、それは何らかの形で解決いていけたらいいと思っています。保育と言う仕事は専門性のある仕事なので、その価値を社会的にも認めていただけるような発信をしていけるといいなと思います。